はじめまして。けんじるです。
当ブログにお越し頂き、ありがとうございます。
現在45歳、3児の父親です。
ダイエット、トレーニング、生活習慣病、自身のこれまでの勉強、子育て、子供の幼児教育や中学受験のことなど、自分が経験してきたこと、現在行っていることが誰かのお役にたてたらうれしいなと思い、今回ブログを立ち上げました。
21歳にて170cm105kgから1か月半で35kgの減量に成功しましたが、10数年かけて80kgまでリバウンドしました。
80kgから70kgまで減量するために、令和2年5月11日からダイエット、トレーニングを開始し、令和3年8月24日現在、72Kgまで減量に成功しています。
45歳で170cm、80Kgの体重は、BMIとしては27.6となり、もちろん肥満となります。
健診では中性脂肪も200台、AST、ALTも軽度高値でした。明らかに脂肪肝です。
30台前半まではタバコも吸い、アルコールもよく飲んでいました。
肥満、喫煙、アルコール、脂肪肝。どう考えても生活習慣病まっしぐらです。
なぜ肥満になったのか。
8歳頃に、ミルクティーにはまりました。それまではスリムな体型だったと思います。
当時どんなミルクティーを飲んでいたかと言うと、ティーカップに角砂糖を3つとか4つ溶かして、飲んでいたんです。もちろん溶け残りますので、残った砂糖には牛乳を溶かして飲んでいました。
8歳頃までは、母親からチョコレートや甘い物は基本的に禁止されていたんですが、友達の家でお菓子をもらったりする機会も増え、食べ出すことになりました。
そこからは、もう白糖の虜になっていくんです。今考えても恐ろしいし、ティーカップの底にたまった砂糖を楽しんでいた自分に後悔しかないです。
そんなこんなで、制限が解除され、徐々に体重が増えていきましたが、基礎代謝もあるし、サッカーなど運動もしていたため、ちょっと背が高くて、いい体格をしている程度で体重は抑えられていました。
その当時、小学校6年生で、身長168cm、体重は60kgくらいだったと思います。だいたい後ろから2番目くらいの大きさでした。
中学時代
中学生になってからは、サッカーばかりの生活になりました。同時に両親が仕事を始めたため、朝起きると朝ご飯とお金が置いてあり、学校、部活が終わり自宅に帰ると、夕ご飯とお金が置いてあり、一人で風呂に入り、寝ると言う生活が続きました。両親は早朝に仕事に行き、晩ご飯の準備をしてくれて、その後また夜遅くまで働くと言う生活でした。
今考えると本当に両親は大変だったと思います。
しかし、中学生が自宅に一人。制限をかけてくれる人がいないわけです。
申し遅れました。私は一人っ子です。
部活でへとへとになり、帰宅した後には、用意されたご飯では足らないため、お菓子やアイス、ジュースを食べまくる日々でした。
そして、中学1年の夏に、激しいトレーニングの結果、腰椎分離辷症を発症しました。
分離辷症になった方はわかると思うのですが、まぁ、動けないわけです。とにかく痛くて。
当然、サッカーは禁止となり、動けないのに、食生活はこれまでのまま。太るに決まっています。
やっぱり太るには太るなりの原因があります。
昔はたくさん運動していて、食べても太らなかったのに、運動しなくなり、けれど食生活はそのまま。
徐々に基礎代謝が落ちていき、20代、30代となって、お腹がでてくる、健診で脂肪肝、中性脂肪が高い、生活習慣病ですと言われてしまうという、黄金の経過のスタートを切ったわけです。
高校時代から浪人時代
高校生になってからはさらに不摂生が加速しました。中学時代の激しいトレーニングのせいで、両下腿の疲労骨折を起こすほど、筋肉がついてしまい、そのおかげで身長は伸びず、体重だけ増加して70kgになりました。
高校時代は部活動もせず、遊びほうける日々でしたが、何度か走り込んだり、食事制限をして、5kgほどのダイエットは何度か行っていました。
そして、ここから体重増加にスパートがかかります。
多浪生活、宅浪生活からついに105kgまで体重が増えてしまいます。
この当時の食生活としては、
朝食:菓子パンや果糖ヨーグルトなどをたくさん食べていたように思います。
昼食:うどんやラーメンなど炭水化物がメイン、パンの場合には、やはり3個から4個は普通に食べていました。
おやつ:まんじゅうやスナック菓子、ジュース、アイスなど
夕食:17時頃に炭水化物メインの食事でした。
もちろん、食事前後にはお菓子など普通でした。
特に、スナック菓子は夕食前などお腹がすいた際には1袋食べてしまうとか普通にありました。
今、考えてみても太るしかない食生活ですよね。
ダイエットを決意したきっかけ
21歳になって、大学生活がスタートしました。3年間の浪人生活が終了し、大学生活がスタートしたのです。
当時、気になっていた女の子を含め、友人達と家で飲んでいた時の話です。友人達はその子を気に入っている事を知っており、なんとかうまくいかないかとセッティングしてくれた飲み会でした。
「どんな男がタイプなの?」と、友人が話を持ちかけたところ、
「特に私太っている人が嫌いなのよね。生理的に受け付けないの。」
と話していたのを、廊下で聞いてしまいました。
「私は○○君のことが好きなんだけどなぁ。」
と、僕の友人への告白が始まりました。
僕の友人はその子に興味がなく、かつ、僕がその子の事を気になっていることを知っていたわけで、板挟み状態ですよね。
そして、廊下でその会話の一部始終を聞いていた私。
いわゆる失恋というやつですね。けれどこのことをきっかけに、痩せて見返してやると一念発起することとなりました。
ダイエット開始
その時のダイエット方法は、1ヶ月半、水分(コーヒー、紅茶、水、お茶、牛乳、豆乳)のみの生活を始めました。
さらに、週4回のジム通いを行い、ランニング、スイム、筋トレを行っていました。
もうみるみる体重が減り、35kg減量に成功しました。 けれど1ヶ月半で35Kgなので、病的です。
もちろん、周りからは病院に行って診てもらった方がよいと散々言われましたが、毎日体重計に乗るのが楽しくて仕方なかったです。
ただし、体重は減ったものの、常に全身倦怠感を伴い、皮膚は乾燥し、ふけのように落ちてしまいます。
視点は定まらず、すぐに風邪を引くなど、酷い体調不良でした。
最終的に65kgまで減量した後、1日1回朝のみ食事を再開し、徐々に食事量をアップしました。
せっかくトレーニングもしつつ、食事制限をしたことでなんとか65kgまで落としたものの、目標を達成したため、ジム通いもやめてしまいました。
食事制限は意識しつつも、やはり少しずつ痩せなきゃという意識は薄らぎ、誘惑に負けるようになりました。
制限がなくなると、ゆっくり体重は増加していき、75kgあたりをウロウロしていましたが、40代になり、80Kg まで増加しました。
30代に入り、10数年間、運動という運動をせずに生活したわけですから、太るに決まっていますよね。
元々甘いものは好きだし、間食は好きだし、なんなら、ご飯なしでお菓子だけでもいいと思っているくらいです。太らないわけがないんです。
仕事は夜勤もあり、睡眠時間が1時間ほどであることはざらでした。翌日もずっと朝から仕事です。眠気に打ち勝つために、エナジードリンク、コーヒー、栄養ドリンクの過量摂取など、とにかく体に悪い事ばかりでした。
首の痛み、手のしびれ
こうして、中年太りが進行していったわけですが、ひげにも白髪が交じるようになった30代後半、それは突然やってきました。
38歳の春を迎えようとしていた3月中旬。首の痛み、肩こりは以前よりありましたが、右手がしびれるようになりました。長い時間正座した後のようなしびれが続くんです。本当に気持ち悪いです。けど首の向きなどにて軽減することもありました。
いろいろ検査した結果、頸椎症性神経根症による右手の痺れ、首の痛みでした。薬を服用したり、ストレッチをしたりしましたが、1ヶ月ほどすると自然としびれもましになりました。
この時精査した頸動脈の超音波検査、冠動脈CTでも既に血管に動脈硬化が見られていると指摘されました。
けれど、以後毎年春や梅雨入り前、台風の来る9月頃と、季節の変わり目に症状が出るようになりました。
そうこうしているうちに、左肘がテニス肘(外側上窩炎)となり、常に左肘に痛みが出るようになりました。
体の不調がこんなに出るようになるとは考えてもみませんでしたが、このままこの体調不良を放っておくのはもちろんよくないので、これまでの生活を変える決意をしました。
過去の失敗を生かしつつ、リバウンドしないダイエット、また日々感じる老化に抗うための方法など、現在模索、挑戦している事を共有できたらと思います。
まずは、ダイエット、トレーニングについて、投稿できたらと考えています。